どれだけ小さくても、あの子はわかっている

ある日の朝、会社へと向かう道すがら。抱っこひもで赤ちゃんを抱っこするお父さんが、僕の前を歩いていた。

抱っこされている赤ちゃんは、0歳か1歳くらい。

そんなお父さんの足が、ある場所で止まった。よく見るとそこは保育園だった。

田舎で育ってきたからか、幼稚園や保育園は独立した建物であり、園庭や遊具もあるような場所をイメージしてしまう。

でも、都会は違う。スペースも限られているし、広さだって田舎のそれには遠く及ばない。

今回の保育園だって、ビルの1階にあるような場所だ。

お父さんが扉を開けると、中から女性の先生が出てきて、「◯◯さん、おはようございます」「〇〇ちゃん、おはよう~」と声をかけている。

先生に気づいた瞬間、赤ちゃんがものすごい勢いで泣き出した。

お父さんも先生も、「あらあら~」と言って、その様子を見ていたから、おそらくいつものことなのだろう。

でも、僕からしたら、あれだけ小さな赤ちゃんも、自分にとって嫌なことは、きちんとわかっているんだなと気づいた。

当たり前だけど、赤ちゃんは1人では何もできない。ご飯も着替えも、おしっこにうんちも、全部大人(親)の手があるから、赤ちゃんは成長していける。

赤ちゃんにとって、親は誰よりも頼れるし、なくてはならない存在だ。

お父さんが抱っこひもから赤ちゃんを外し、先生に預けるまでの動きはとてもスムーズで、日常だからこその余裕さえ感じられた。

あのお父さんも、最初は胸が張り裂ける思いをしたのだろうか?
赤ちゃんは自分を求めて泣き叫ぶ。でも、家族を養うためには、仕事に行かなければならない。

その葛藤は、子を持つ親にしかわからないことだろう。

赤ちゃんが成長して大きくなった時、あのできごとを思い出すのだろうか?
いや、覚えていることのほうが少ないだろう。

現に1歳前後の記憶というのは、僕自身もよく覚えていない。

でも、そこに親や保育士さんの愛情があったことは、忘れてはいけないなと思いながら、僕は職場へと急いだ。

喫茶七色|akira

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