応援してくれる誰かがいてあなたは決して1人ではない

会社へと向かう朝、最寄り駅を出ると改札口にはたくさんの人がいて、普段の閑散とした風景とは真逆だったので驚いた。

この人だかりはなんだ?と不思議に思い眺めていると、そこには頭に大きなハチマキを巻いた男性が立っていて、目の前には背丈の低い女の子がいる。

肩からかけられたタスキには「合格」の文字が書かれていて、そこでやっと僕は「今日は高校受験の日なんだ」と気づいた。

おそらく男性は学習塾の先生で、女の子は生徒なのだろう。先生は明るい言葉を投げかけている。
その子は緊張しているのか、顔が強張っていたように見えたけれど、先生を見て安心したのか、笑顔を浮かべて少しだけ恥ずかしそうにしていた。

僕にとっての高校受験はもうかれこれ15年近く前になる。
「受験」とか「入試」という言葉だけなら、意識し始めるのは中学2年生の終わり頃だった気がする。

僕が住んでいた地域は、県内すべての高校の情報が記された雑誌のような本が配られる。そこには制服や校内の雰囲気がわかる写真、ここ3年くらいの倍率なんかも書かれていて、受験生の志望校選びに必須のアイテムだった。

また、夏休みにはオープンハイスクールというものが開かれる。2校ぐらいに足を運んで、実際の授業を体験できる高校の見学ツアーのようなものだ。

そうして僕が志望校に選んだのは、小高い丘の上にある高校だった。なぜ選んだのかといわれれば、市内ではなく人里離れたような場所にあるから落ち着いているし、街に向かうみんなとは違う道みたいな気持ちもあったのかもしれない。

でも、中学2年生のときに初めて受けた模試の判定はA~EのうちのDで、どう考えてもその高校に入れるイメージはなかった。

そんなとき、僕と同じくテストの点数がいつも悪い同級生に、ある教科の点数で負けたことをバカにされて僕は火がつき、それまでとは売って変わり、勉強をするようになった。

そうして模試の判定も十分に合格できるくらいのレベルになり、不安もありながらも、当初から行きたいと思っていたその高校を受験することに決めた。

いよいよ試験当日、祖父が車で受験会場の高校に送ってくれたのだが、家を出て少し経った後、僕は上履きを忘れていたことに気づいた。

受験票や参考書、筆記用具などをあれだけ確認していたのに、ついうっかり忘れてしまっていた。靴を取りに慌てて家に戻ると、祖母が上履きが入った袋を片手に心配そうに立っていて、「ほんとにあんたは。。」と言われ、祖父も「アキ早く早く(akiraだからアキ)」と急かすものだから、遅れたらどうしようどうしようとそればかりが気になって何ひとつ落ち着かなかった。

せっかく早く出発した余裕も忘れ物で帳消し、いやむしろマイナスになってしまい、遅れてないけれど高校に到着した頃にはあたりはシーンとしていて、他の受験生のほとんどはもう教室の中にいる様子だった。

慌てて車を降りて入口に向かって走ると、そこには学習塾でずっとお世話になっていたT先生が立っていた。

僕があまりに慌てふためいているので、T先生も目を丸くして「どうしたどうした!」と聞くものだから、忘れた上履きを家に取りに戻って遅くなったことを伝えると、T先生は突然僕の両肩を両手でつかんでこう言った。

「まだ開始には時間があるから大丈夫。まずは落ち着いて。ほら一緒に深呼吸だ深呼吸!」と。
一緒に深呼吸をすると不思議と気持ちが落ち着いた。それから今まで頑張ってきたことを含めて激励してくれて、僕は受付へと向かった。

受付を終えて試験会場となる教室の扉を開けると、同じ中学校の同級生や名前の知らない他校の受験生が座っていて、自分の席だけがぽっかりと空いていた。その光景に恥ずかしさを覚えつつも、試験に間に合ったという安堵の気持ちのほうが大きかった。

やはり本番、ずっと勉強してきた集大成を発揮するという意味でも、受験は緊張するものだったが、T先生や同級生の顔を見て落ち着いて解き終えることができた。

試験から合格発表までの数日は気が気でなく、何をするのもうわの空で、自分は合格したのかそれとも不合格だったのか。そればかりが気になって仕方がなかった。

合格発表当日。今はわからないが、当時は学校前に合格者の番号が書かれた大きな看板が掲示されるため、僕は祖父と一緒に見に行った。祖父は学校近くに車を停め、「行って見てき」と僕を送り出した。

そこにはすでにたくさんの受験生がいて、合格を喜び合っていた。受験のときに見た記憶のある他校の生徒、仲の良い同級生の姿もあり、僕は自分の番号を探し始めた。

掲示されている番号を若い順から確認していき、手元にある自分の受験番号と照らし合わせていく。するとそこには自分の番号があった。「ッシ!」と思わずガッツポーズをする。すると近くにいた同級生が「お前も合格した!?」と聞いてきて、春から一緒の高校で同級生になることを互いに喜び合った。

ひとしきり喜び、後ろを振り返ると遠くに祖父の姿があり、僕を見て微笑んでいる。どうやら、同級生と僕の喜ぶ姿を見て、僕が合格したことに気づいたのだろう。

祖父のもとに戻ると「塾の先生に伝えんでいいのか?」と言うので、そのまま通っていた学習塾へ乗せてってもらう。

学習塾へ着き、扉を開けると、そこにはT先生がいた。T先生は僕を見るなり「どうだった?」と聞くので、「合格しました!」と答えると、T先生は喜ぶよりも安堵が先に来たみたいで大きく息を吐いていた。そして、「あれだけ焦ってたのに合格して本当に良かった」と言ってくれた。

受験勉強というのは孤独だ。別の何かを言い訳にしたくなっても、勉強の結果は点数となって表れてしまう。結局はすべてが自分の責任なのだ。点数、親、同級生、試験日までの残り日数、自分を取り巻くすべてに四方八方を塞がれて、思わず息が詰まってしまうような……でも息を吐くことが許されない無言のプレッシャーを感じる。

孤独が強くなると自分以外のすべてが敵のように見えてくるのだが、よくよく振り返ってみると味方ばかりなのだ。例えば、親はあれこれ口うるさく言うけれど、やっぱり子どものことが心配だし、自分も受験という経験があるから、その経験をもとに子どもに言いたくなってしまうのだ。

学習塾の先生もドライな人が多いけれど、やっぱり自分が教えてきた子たちの集大成を見届けるために、受験日の朝早くから高校の校門の前に立ってくれているのだ。普段だって、授業以外の自分の時間を犠牲にして勉強のことを教えてくれている。

だから、孤独を感じても自分のことを応援してくれる誰かが必ずいて、決してあなたは1人ではないのだ。

それに気づけた今だからこそ、駅で偶然見かけた受験生と学習塾の先生とのワンシーンが、僕も受けたいつかの高校受験を強烈に思い出させた。

あの子がもし合格したら、本人も先生もみんなきっと幸せだろう。
自分の頑張りのすべてが報われて、新しい春がやって来ることを心から祈った。

喫茶七色|akira

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