本屋と祖父と僕

小学生の頃の僕は青森で暮らしていて、毎年夏になると家族全員でワゴン車に乗り、父の実家がある富山で暮らす祖父母に会いに行っていた。

休憩を含めると青森から富山は10時間近く。約850kmの道のり。

祖父母は孫である僕や弟、妹の顔を見られるのが嬉しくて楽しみで、到着する時間が朝早くても、家の前に2人で立って僕らを出迎えてくれた。

普段暮らしているアパートとは異なる祖父母の家の雰囲気、大きな仏壇と線香の香り、ツヤツヤになった廊下がひんやりと冷たく、緑豊かな庭から香る土や苔の湿ったような香りが漂っている。

1日が終わるのはいつもあっという間で、それは1年に1度しか会えない祖父母とか、田んぼの多さとか、家の周りに用水路があるので常に水が流れる音が聞こえるとか、青森とは違う富山の景色が非日常にあふれていたからだと思う。

富山に来て楽しみなことの1つが、祖父が本屋さんに連れて行ってくれることだった。

ある日、祖父から「アキ、本屋行くぞ(akiraだからアキ)」と声をかけられ、車の助手席に乗って街に唯一ある本屋さんに向かうのだ。

「何でも好きなものを1冊買ってやる」と言われ、本屋さんの中を見て回る。でも、当時小学校低学年の僕が選ぶ本といえば図鑑くらいだった。

気軽に買えるものではないし、たくさんの写真やイラストが散りばめられている図鑑は、「本を買ってもらえる」というイベントにピッタリだと思っていた。

記憶にあるのは「植物」に関する図鑑だ。四季ごとに紹介されている花はどれも彩り豊かできれいだし、スイカやリンゴのような果物も紹介されていて、食いしん坊な僕にとってこれほど楽しい1冊はなかった。

買ってもらった図鑑を大事に抱え、家でも離さずに繰り返し眺めている僕の姿を見て、祖父も嬉しそうな顔をしていたのは、ぼんやりとだけど今も思い出せる。

祖父は新聞は読んでいたけれど、本を読むような人ではなかった。
でも、やっぱり本は知的好奇心を育む物の1つだからか、孫に少しでも本に触れる機会をと思っていたのかもしれない。

そんな富山の時間は過ぎていき、いよいよ青森に帰る日に。また会えるのは1年後になるからそれが悲しく、涙をこらえながら祖父母の姿が見えなくなるまで、車の中から手を振っていた。

中学校への進学を機に富山に引っ越した後も、祖父母と毎年訪れていた本屋さんはずっと残っていて、僕もたまに本を買いに行っていた。

でも、大学からの一人暮らしや就職の上京で、富山に帰る機会が少ないから気づかなかったけれど、あの本屋さんは閉店してしまった。

久しぶりの帰省で母から閉店の事実を知らされた次の日、僕はなんとなく車で本屋さんがある場所を通り過ぎた。当たり前だけど、駐車場には車が1台もいないし、お店の中も真っ暗で本が1冊もない棚だけが残されている。

お店がなくなったのは寂しいし、あの図鑑も手元にはない。

でも、祖父が運転する車に乗って本屋さんに向かったこと、一緒に図鑑を選んだこと、買ってもらった図鑑に喜ぶ自分のこと、そのどれもが断片的な記憶として残っていて、つながることで僕の想い出になっている。

年齢を重ねるごとに図鑑は遠い存在になっているけれど、今も本屋さんに売っているのだろう。今度本屋さんに寄るときは、久しぶりに図鑑を手に取ってみようと思う。

喫茶七色|akira

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