15時にあの大きなポット、いつもの急須と湯呑みで

祖父は10年以上前に亡くなり、祖母もしばらくずっと施設で暮らしている。
となれば今の実家は朝と夜以外は誰もおらず、家の中はシーンとしていて、祖父母がいた頃の面影はほとんどない。

でも、実家に帰ったときに食器棚を眺めると、急須と湯呑みはそのままで、その光景が在りし日の記憶を呼び戻してくれる。

祖父母の1日といえば、祖父は畑、祖母は工場に卸す部品の内職をしていて、家で仕事をしているときは昼ご飯以外に会話をすることはほとんどなかったと記憶している。

でも、そんな2人が楽しく話す姿を見られるのが、お茶の時間だった。

15時近くになると、祖父母は畳のあるリビングにやってきて、使い古された大きなポットを運び、お盆に急須や湯呑み、その日に食べる適当なお菓子をセッティングする。

お茶を入れるのは、いつも決まって祖父の役割だった。

茶さじを使う日もあったけれど、大抵は茶筒のフタを使って茶葉の量を計る。祖父が茶筒を振るたびに、茶葉が擦れ合い「チャッチャッ」と小気味よい音が響いて、僕はそれが好きだった。

茶葉を急須に入れたところにお湯は直接注がず、いちど湯冷ましに入れることが、おいしいお茶を淹れるコツなのだと祖父は繰り返した。

そうして湯冷ましから急須にお湯を流し込み、フタをしてしばらく待つ。蒸らしをしっかりすることで茶葉がひらき、おいしいおいしいお茶ができあがるというわけだ。

お茶はスーパーで売っている特別でも何でもない普通の煎茶だったけれど、お菓子は楽しみが多かった。

スーパーで買ってきたおかきやせんべい、チョコパイのような甘いお菓子もあったけれど、特に楽しみにしていたのが和菓子だった。

親戚の方が来たときは、その方がいつも買ってくる大福があって、甘すぎず少し塩気を感じるくらいのこしあんで包まれている。打ち粉で手や口まわりが真っ白になるけれど、あの大福とお茶の相性を知ってるから、部活をサボってでも家に帰りたくなる日もあった。(実際に帰ったこともある笑)

そうして、祖父母のお茶の時間は毎日1時間ほど続くのだ。

ワイドショー、国会や相撲の中継を見ながら、時には孫の僕や弟、妹のいずれかと話しながら、ゆっくりとお茶とお菓子を味わう。

毎日のルーティンだったから、15時になったのにお茶の準備をしない様子を見ると、こっちがちょっと焦るくらいの日常だったのだ。

そんな日常も、祖父の死と祖母の施設入りで、いつの間にかなくなってしまった。

でも、あのときの急須や湯呑み、お盆などは今も食器棚の片隅に残っていて、それが自分の中の遠い過去の記憶とをつなげる唯一の手段になっている。

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