「靴は友だち」とあの人が教えてくれた

フランクリンさんが手作りする革靴

もう10年近くも前、僕が大学生の頃の話。

卒業旅行が一人旅になりそうだと気づいた時、どこに行こうかと考え始めていた。

その時に読んでいた本のある一節に、僕の目は釘付けになった。

それは松浦弥太郎さんの『場所はいつも旅先だった』というエッセイ。

その中の、サンフランシスコから車で2時間以上かかる小さな村で暮らす、高齢のお母さんと息子のフランクリンさんが営む靴工房の話だ。

場所はいつも旅先だった/松浦弥太郎

石膏で足型を採り、サイズだけでなく足裏のカーブまで合う手作りの革靴は、松浦さんいわく「雲の上を歩くような」履き心地らしい。

ちなみに僕の足のサイズは31cm。靴を探すのも一苦労な僕にとって、その話は魅力的に映った。

そして、「サンフランシスコで自分だけの靴を作ってもらう」ことが目標になった。

靴を作ってもらうには、前もって連絡が必要だが、この連絡手段がなんと「電話」しかない。

現地の時差に合わせて、初めての国際電話をかける。

普段のような「トゥルルルル」という呼び出し音は一切なく、チューニングが合わないラジオのような雑音が続いた後、突然「ハロー」という声が聞こえてくる。

僕は慌てながらも、日本に住んでいること、松浦さんの本を見て知ったこと、靴を作ってもらいたいことなどを話す。

フランクリンさんは僕のつたない英語を理解してくれ、手紙を送るように伝えてくれた。

フランクリンさんから届いた地図の写真

すぐに手紙を書き、郵便局で国際郵便として送る。そして、2週間後にアメリカから届いた手紙には、今後のやり取りをするメールアドレスや道のりが記された地図が入っていた。

今さら行かないという選択肢もない。そう思えたら、アルバイトや節約にも精が出た。
必要なお金も貯まり、飛行機のチケットやレンタカーの手配も終え、僕はアメリカに向けて日本を旅立った。

サンフランシスコに向かう飛行機の写真
飛行機から見る夜明けの写真

経由地のダラスまでは11時間のフライト。高度10,000mから眺める世界の夜明けは、ただただ美しかった。

サンフランシスコに着いて2日経ち、いよいよフランクリンさんの元へ向かう日。
国際免許はあるけれど、初の海外で運転まで、しかも左ハンドルに右車線というのは緊張する。

でも、いざ乗ってしまえばすぐに慣れるもので、現地のラジオを聞きながら、車はフリーウェイを順調に進んでいく。

アメリカのフリーウェイの写真

少し道を間違えつつも、フリーウェイを出て、いくつかの街を通り過ぎ、山々が近くなってくるのを感じていると、車はいつの間にか村に入っていて、無事にフランクリンさんの家に着いた。

案内してくれた場所は、車庫と作業場が一緒になっており、色とりどりの革と革靴が並んでいる。そして、それらを見ながら、今回のオーダーを決めていく。

僕は初めてというのもあり、ベーシックなモカシンという形で、いわゆる定番を作ってもらうことにした。

車庫の奥には、たくさんの石膏が置かれている。聞いてみると、この工房を訪れた世界中の方々の足型らしい。

数もさることながら、こんな遠く(サンフランシスコかつ市内から200km近く)まで、訪れる方がいるんだ。そして、自分もその1人なんだということに胸が高鳴った。

玉座と呼ぶウィンザーチェアの写真

「さぁ、始めようか」の声で、僕は裸足になり、王様の椅子・お姫様の椅子と呼ばれるウィンザーチェアに腰かける。

フランクリンさんは、ペンで僕の足の外側をなぞったり、メジャーで測った数字を紙に書き込んだりしながら進めていく。

そして、いよいよ型取りだ。慣れた手つきで、石膏で僕の足をすっぽりと包み、固まるのを待つ。固まったのを確認してから外すと、最初に見たのと同じように足型ができ上がるというわけだ。

作業中、気がつくと雨が降り出していた。3月は比較的雨が多い季節らしい。

屋根を叩く雨音が作業場に響く。
僕とフランクリンさんだけしかいないその空間は、素朴だけど美しかった。

フランクリンさんの工房近くの風景

そうして型取りが終わり、「君の足はもう大丈夫。僕がそのために靴を作るからね」とフランクリンさんから心強い言葉をもらい、お礼を伝えて僕は来た道を帰った。

日本に戻ってから1か月もたたずして、僕だけの靴がやって来た。

箱をすぐに開けると、そこには本で見たのと同じ靴が入っている。
僕は嬉しくなり、部屋の中だけど靴を履いてみる。

つま先もかかとも、足の甲も足の裏も、足のすべてを優しく包みこんでくれるかのようだ。

一歩踏み出してみる。それは正に「雲の上を歩く履き心地」そのものだった。
まるで僕の足は靴と一体化したかのように思えた。

そして、箱には靴とは別に、フランクリンさんからの手紙が入っていた。

そこには、遠い日本から来てくれたことのお礼とともに、「靴は君を支えてくれる友だちになるよ」と書かれていた。

完成した革靴

「靴は友だち」
どういうことだろうと、僕は考えてみる。

裸足で外を出歩く人はほとんどおらず、たいていの人は靴を履いている。衣服と同じように、毎日の暮らしに欠かせないのが靴だ。

毎日の付き合いであり、距離が近い関係は、友だちと呼ぶにふさわしいだろう。

靴は履くうちにかかとが減ってくるので、定期的にアメリカに送り、今もフランクリンさんにメンテナンスをお願いしてもらっている。

僕からしたら「友だちをお願いします」、フランクリンさんからしたら「友だちのことは僕に任せて!」のような関係が続くのは嬉しい。

ロストバゲージにならないことを祈りながら送り、毎回無事に僕の手元に戻って来てくれる。

この靴を履くと、力を入れずに自然と立ち、ゆっくりと一歩ずつ歩ける気がする。

足元から僕を支えてくれるこの靴は、僕にとっての友だちそのものだ。

喫茶七色|akira

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