東京に来て働き始めてしばらく、訳あってシェアハウスで暮らすことになった。
そこは渋谷から電車で10分もかからないエリアで、光熱費・ネット込みで月39,800円。
なぜそこまで安いか?
それは、ドミトリースタイルだったから。
一部屋は10畳くらいの広さで、二段ベッドが3つずつ置かれている。
男女別に合計4部屋あり、大体20人が暮らしていた。
シェアハウスはとても不思議な場所だ。
会社員、エンジニア、タクシードライバー、パーソナルトレーナー、テレビ局、フリーランスみたいに、みんな別々の仕事をしていて、生活リズムもバラバラ。
でも、同じひとつ屋根の下で共同生活を送っている。
自分のスペースは二段ベッドの中だけ。
スペースが少ないからか、広いダイニングに行くと、いつも誰かがいた。
朝なら「おはよう」、夜なら「こんばんは」、寝る時は「おやすみなさい」と、自然と誰かと挨拶を交わしたり、話せたりできることは、ひとり寂しい東京生活で心の拠り所になっていた気がする。
シェアハウスは自由度が高いけど、その自由の裏には明確なルールが存在している。
例えば、食材は名前が書いたジップロックに入れたり、押入れの荷物はテープをはみ出して置いてはいけないとか。
使いたいタイミングでトイレに誰かが入っていたり、シャワーも名前が書いて使われていたりと、不便も多かったけれど、それ以上にみんながいるという安心感のほうが大きかった。
そんなシェアハウス暮らしの居心地を左右するのは、一緒に暮らす「シェアメイト」との相性がとても強い。
僕が住んでいた頃は、シェアメイト同士の仲がとても良く、ストレスなく暮らすことができた。
みんなで高尾山に登ったり、たまには飲みに行ったり、リビングルームで料理やらお酒やらを持ち寄り、みんなでパーティーをするときもあった。
なかでも一番好きだったのが、喫煙スペースでの時間だった。
僕はタバコを吸わないけれど、タバコを吸うシェアメイトとベランダスペースに出て、一緒に話をするのだ。
当時の僕はシェアハウスで最年少だったし、周りは年上の方ばかりだったから、仕事や恋愛の悩みとかをいろいろ聞いてもらったりしていた。
人数が多いから、シェアハウスはとにかく十人十色の人間模様がある。
みんなそれぞれの生き方・考え方を持っており、勉強させてもらったステキな方も多かった。
特にお世話になった方がYさんとGさん。
僕はリビングルームでよく本を読んでいて、Yさんも本が好きな方だった。
ある日、いつものように本を読んでいる僕に、「ねぇ、akiraくんは本が好きなんだし、何か書いてみてよ」とYさんが言った。
僕はそれまで文章を書いたことがほとんどなかったけれど、時間だけはいくらでもあったから、二つ返事で引き受け、書いてみることにした。
その時は、初めての海外でサンフランシスコでバークレーという街に行き、カフェでたまたま出会った人たちと過ごした1日をノートに手書きで書いたことを覚えている。
Yさんは繰り返し読んでは、「とてもステキだった。読めて本当に嬉しい!」と褒めてくださり、自分の文章を読んで喜ぶ姿を見られるのが本当に嬉しかった。
そして、もう一人のGさんは、僕と同じ二段ベッドの住人。僕が下、Gさんが上で寝ていた。
ある日、Gさんが「こういう会社でこんな仕事があるけど面接を受けてみないか?」と誘われ、当時の僕は派遣やアルバイトを掛け持ちするような毎日だったから、「受けます!」と返事をして面接を申し込んだ。
面接を経て内定をいただき、僕はその仕事を楽しむようになった。
Gさんと同じ会社の一員となったこともあり、社員の方から「なんでGさんと知り合ったの?」という質問に、「シェアハウスで出会ったんです」と答えるたびに、シェアハウスのことを聞かれた。
そんな僕を含めた男女20人のシェアハウス暮らしは、突然終わりを告げることになる。
老朽化で建物を壊すことになったからだ。
別のシェアハウスに移る方もいれば、僕のようにアパートやマンションの部屋を借りて、新しい生活を始める方もいた。
シェアハウスがあった場所は、今や立派な高級マンションが建っている。
外から眺めると、喫煙スペースがあった場所は前と同じようにフリースペースになっている。
散歩でそこを通るたびに、あの時のシェアハウスや一緒に暮らしていたシェアメイトのことを思い出す。
連絡先を知っている方はほんの一握りだけど、みんなそれぞれの人生を歩めていたらいいなと思う。
喫茶七色|akira