ある日散歩をしていたら、前から1台の車がゆっくりとやってきた。
車に目を移すと、運転席にはおじいさん、助手席にはお孫さんと思われる子どもが乗っている。
なんてことなく過ぎていく車とは対照に、僕の脳裏には昔の記憶が浮かんできた。
それは僕が高校生の頃。
高校は坂道が続く小高い丘の上にあって、自転車でヒイヒイいいながら通っていた。顔も知らない他校の同級生は、みんな市内の高校に下りていくのに、僕は逆に上っていく高校生活だった。
高校までは自転車で約7kmの道のり。晴れの日はいいが、雨の日はつらくて、祖父にお願いして車で送ってもらう日もあった。
そんな日は、朝起きると「アキ、今日はどうするんだ?」と、決まって祖父から聞かれた。(akiraだから、祖父は「アキ」と呼んでいた)
「じゃあお願いします」と僕が答えると、祖父は車のエンジンキーを手に取り車庫へ向かい、車のエンジンをかける。
そして、家の中に戻ってきては、「アキ、早く早く」と僕を急かすのだった。
そう、祖父は運転がとても大好きな人だった。
僕が助手席に乗り込むと、祖父はシフトレバーを動かして1速に入れ、サイドブレーキを下ろしてクラッチから足を引きつつ、アクセルをゆっくりと踏む。
動き出した車内の中で、僕はラジオを聞く時間が好きだった。
送ってもらう時間帯は大体決まっていたから、聞けるラジオも同じ番組になってくる。
アナウンサーが読み上げるニュース、MCの一言に祖父が反応し、それに僕も答えたりしていた。
祖父は畑仕事が好きで寡黙な人だったから、二人きりで話ができる20分くらいの時間は、決して長くはないけれど、今思えばとても充実していて平和だった気がする。
ある日、たまたま運転中の祖父の横顔を見た。
目は真剣なんだけど、表情はどこか優しく、ご機嫌だった。
祖父の1日の生活といえば、朝早くに起きて畑をいじり、前日に仕込んだ漬物を確認して家族と朝食を食べ、新聞を読みながらお茶をして、夕方にまた畑をいじる。
平和な日常だけど、祖父としては物足りなさもあったのかもしれない。
だから、「孫を送る」ことを口実に、車を運転できることは、祖父にとっても気分転換だったのかなと思っている。
高齢者ドライバー問題は、テレビやネットニュースに日々取り上げられていて、最近は「高齢者の運転=危ない」というイメージが付きつつある。
でも、10年前はそこまでニュースになっていなかったと思うし、当時はいろいろおおらかだった。
なにより田舎なので道行く車は少なく、歩いてる人もほとんどいない。
だから、70代後半の祖父が運転していても、別に気にならなかった。
車はマニュアルだし、オートマとは違って、自分の意思で車を操り動かす。実際に祖父は運転が本当に上手な人だった。
まっすぐ走るし、交通の流れを乱さないスピードで、周りの車と適切な車間を空けながら運転する。
違反している車を見つけた時は、「アキ、あの車は◯◯だから違反なんだ」と言うくらいに、交通ルールをきちんと理解・記憶できていた。
そんな祖父は、僕が大学に入ってすぐに病気で倒れた。病院に運ばれた時には既に手遅れで、入院してから2週間くらいで亡くなってしまった。
僕は高校を卒業する最後の最後まで、必要があれば祖父に送ってもらっていた。
つまり、祖父は体のどこかに病気を隠しながら、僕を高校へと送ってくれていたはずだ。
その時、祖父は病気の存在に気づいていたのだろうか?それとも、知らないままだったのか?
今となってはわからない。
ただ、普段は自転車だけれど、祖父が運転する車に安心して乗り、高校に通えていた学校生活はとても恵まれていたと思う。
今度実家に帰る時はお墓参りをして、祖父に改めてお礼を言いたい。
その時に思い出すのはきっと、祖父がエンジンキーを片手に僕を呼ぶ顔や、運転中の優しい横顔なのだろう。
喫茶七色|akira