日常はきっとシーンであふれている

コロナ禍はテレワークできていたけれど、だんだん出社回帰の流れになってきて、テレワークを廃止になる時が来ました。

別にそこから何が変わるというのもないのですが、会社と家の往復で1日が終わってしまう気がして、平凡な日常は平和と言われればそうですが、味気なさや物足りなさを感じるときがあります。

そんなとき、僕は1日のなかで何度も立ち止まり、自分に起こるできごとに目を向けるようにしています。

「日常はいろんなシーンであふれている」というのは、個人的な信条です。例えば何か?

僕は会社まで歩いて通っています。道中にある家では2匹の猫さんが家族と一緒に暮らしているようです。晴れている時は窓が開いており、部屋から出てきた猫さんがベランダの端っこに座っていて、家を見守っているんです。

気づかずに通り過ぎる人も多いんですが、「猫さんがいるかもしれない」ということを頭に入れておくと、その家に近づいたときに「今日は猫さんいるかな?」と楽しみに思ってしまいます。

通勤途中の楽しみはそれだけじゃありません。その家を通り過ぎると、果物の木たくさん植えている家があります。最近はちょうどゆずが収穫期らしく、ご自由にどうぞと季節のおすそ分けをされていました。もう少し経つと、今度は柿が食べ頃の色合いになりそうです。

そうした季節を感じられるのも徒歩ならではですし、ちょっと意識を向けてあげるだけでも、いつもの通勤路が違った風景に見えてくるのは、個人的にとても好きな瞬間です。

なんかこう、本当にいろいろステキなシーンって自分のまわりにあると思っています。

ステキと思える基準は人それぞれですし、自分が良い!と思っても、別の誰かにしたらそうでもないこともきっとたくさんあります。

でも、基本的に独身だろうが家族がいようが、「自分」だけの軸というのは誰しも持っているはずなので、良いと感じられる気持ちが大切なんだと思います。

例えば僕なら、近所を流れる川の水面が太陽の光でキラキラと輝いているのを見たり、空の遠く高いところを音もなく滑るように飛んでいく飛行機を眺めたりするのが好きです。

1日24時間という変わらない時間のなかで、その「密度」をどれだけ高められるかは自分次第だと思っています。

だから「シーン」を見つける・気づくのが大事なんじゃないかなと。自分の知らない好きをたくさん見つけられるのも、暮らしならではの楽しみ方なのかもしれません。

急ぎ足になると、毎日はどうしても淡々と進んでしまいますが、自分なりに1日を味わいながら穏やかに暮らせる日を増やしていけたらというのが最近の僕の考えです。

喫茶七色|akira

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