Twitterを眺めていたら、人気の料理研究家がホットプレートを使ったレシピを紹介していた。
その時、僕はそのレシピよりも、ホットプレートに強烈な懐かしさを覚えた。
なぜかホットプレートは、僕にとって家族との時間が蘇る。
朝ごはんならホットケーキ、昼ごはんなら焼きそば、晩ごはんなら焼肉みたいな感じ。
3人兄弟、両親に祖父母を入れれば7人の大家族?だった我が家では、何かを丁寧に作って食べるというよりも、育ち盛りの僕たちが満足できるように、手っ取り早くおいしくて量が多いメニューが多かった。
そのなかでホットプレートがたびたび出てくるのだが、今思えば母親なりに家事の負担を軽くする目的もあったかもしれない。
だって育ち盛りのためにあれこれ作るよりも、何か分かりやすいものを1品でもいいからドドーンと用意しておくほうが効率が良いからだ。
中学・高校で運動部だった僕や弟たちにとって、質よりもたくさん食べられることのほうが嬉しかったはず。
あと、何より良いのは、ホットプレートを囲んで家族が食事を楽しめるという点。
まさに同じ釜の飯を食うというシチュエーションそのものだし、何かの儀式を家族でしているかのような笑。
とまぁ、そんなことを思い出しながら実家に帰ったその日の夜、家族みんなが集まるダイニングテーブルの上にはホットプレートが置かれていた。
僕は思わず顔がほころぶ。どうやら今日は焼肉らしい。
準備を手伝いながら、時間になって家族全員が揃い、ホットプレートを囲む。うちは長方形のホットプレートだけれど、他の家は形が丸かもしれないし、作るご飯も違うかもしれない。
ホットプレートの数だけ、家族の味と家族の時間がある気がする。
自分のために作るご飯が当たり前になった僕にとって、家族と一緒に食事を楽しむことは、実家で過ごす何よりも嬉しく幸せな時間かもしれないと思った。