思い出すということ

細々とこうしてブログを続けているが、何を書こうかなと思うときに、やっぱり過去のいろんな記憶に振り返りたくなる。それは本当に昔の話だと幼稚園に通っていた頃とか。

特に日記を書いてきたり、そういう気づきをメモするような思春期を送ってきたわけではないので、自分の記憶だけが頼りになる。

その過去の記憶を振り返ると、最初はぼんやりとしていたのに、いつの間にか鮮明に思い出すときも多くある。例えば僕は陸上競技をやっていたのだが、その時の天気や暑さの感じ、体に帯びる熱、チームメイトとの会話など。

本当にその場に今もいるかのように、詳細な記憶が色鮮やかに脳内で再生される瞬間があるのだ。

そうすると書く難易度は低くなる。思い出した記憶の情景に合わせて文章を綴り、順番を入れ替えたり修正したりしていると、1つの簡単な読み物ができあがっている。

その一方でどうしても思い出せない記憶もあったりする。
あと一歩のところで鮮明になりきらず、逆に自分の頭がパンクしそうになり、蓋をして別の記憶の蓋を開けにいくことも少なくはない。

でも、「思い出す」という行為自体が、僕はいい作業だと思っている。
記憶というのは年々と薄れていくものであり、すべてを覚えている必要はないのだが、大事なことはいつまでも覚えておきたい。

例えば、ずっと通うことになる喫茶店にはじめて行った日のこと、ずっと大切に何度も読みたい本に出会えたとき、告白して友人から彼女になるあの瞬間、二度と繰り返さないように誓った失敗、何気なく言われて傷ついた一言。

良いも悪いも、すべてのできごとが今の自分を作っているわけで、毎日をなんとなく過ごしている気がして嫌気が差すとき、こうして記憶を振り返り、自分の棚卸しをするとたくさんの気づきが得られる。

前だけを見て突き進むことが大事な場面もあるだろうけれど、時には立ち止まって自分を振り返る必要もある。
そうして思い出したことを僕はこうして残している。

喫茶七色|akira

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