大事な人との想い出や記憶、自分の心が揺さぶられたできごとは、「自分の頭の中、心の中に残っていればいい」と思っていたけれど、最近はそうじゃないかもと危機感を持っている。
なぜなら、その想い出や記憶が、少しずつ薄れているような気がするから。
年齢だけはまだ若いけれど、そのできごとから年数が経てば経つほど、思い出すのにも時間がかかるし、その鮮明さもどんどん失われつつある。
だから、少しずつだけど、こうして書き残すようになった。
「日記は書かないの?」と言われそうだけれど僕の性格上、これまで日記は続いたことがない。何度も日記にチャレンジしてみては、最初のページだけたくさん書いてあるのに、段々と書くことが少なくなり、しまいに真っ白なページが続くだけになってしまう。
自分ごとにして習慣化するのはとても難しい。いや、決して難しいわけではないけれど、いわゆる飽き性の僕には難易度が高すぎる。
自分で言うのもなんだが、僕はとても内向型だ。
1日喫茶をやったり、SNSをやったりしているから、内向型ではないだろうと思われるかもしれない。
もちろん、人と関わるのは大好きだ。話すのも好きだし聞くのも好き。
でも、それ以上に一人の時間が好きだし、考えることに多くの時間を割いたりしている。
自分自身やたくさんの人との関わり、浮かんでは消えて思い出せなくなる思考の数々は、良いか悪いかは別として残しておかないと、あっという間に忘れてしまう。
そんな断片も、書き残しておけば、気が向いたときに振り返ることができる。
それは想い出として確認したり、当時の自分がそのように考えていたという気づきにもなったりする。
好きな作家「くどうれいん」さんの作品は、どのお話もとても具体的に記されていて、自分もその場にいるかのような気持ちになれる。
その理由はなぜかと考えてみると、以前参加したサイン会のことを思い出した。
「同い年なのにこんなステキな文章を書けるのスゴイです!」というファンの言葉に、「まずは日記でもいいから書くことに慣れましょう!少しずつ書いていきましょう!」と、くどうさんはまっすぐに答えていた。
そのとき、それは本当かわからないけれど、くどうさんは身の回りに起こるできごとを残しているからこそ、お話を具体的に書けているのかなと思えた。
くどうさんの作品はエッセイが多い。そのわずか数ページの記録は、日記でもあり物語を眺めているような気持ちにもなる。
書くことの大切さや勇気は、くどうさんから教わった。
自分自身の振り返りと、1人でも誰かのためになったらいいなと思い、自分のペースで書いていきたいと感じるこの頃。
生きるために書くし、書くために生きるとでもいうか、そんな気持ち。
喫茶七色|akira
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