たった1人の好きがあるから僕は書く

パソコンの画面が点灯している写真

ノートパソコンの画面を前にして、キーボードに指を置いているとき、「自分は何のために書いてるんだっけ?」と思う瞬間がある。

書きたいことや伝えたいこと、考えや体験を知ってほしいからとか、いろんな理由が自分のなかにあるし、どれが正解とか間違いとかの話ではない。

でも、最近になって、気づいたというか、そうなのかもと思うのは、「たった1人の好きがあるから」自分は書けるのではないかということ。

例えば母からは、「あなたの文章は流れるように読めるから好き」と言われたことがある。

フォロワーさんのなかには、僕が書いたブログを読んで、感想をくださる方がいる。

ブログは手紙ではないから、「◯◯さんへ」とは異なり、特定の誰かのために書いているわけではない。

僕は名の通る人間ではなく、本を出してないし、ネットで連載を持っているわけでもない。でも、そんな自分でも書ける場所がある。

※ここから先は映画ルックバックの話になるため、ネタバレ注意です。

6月の終わり、原作はマンガ家の藤本タツキさん、映画監督の押山清高さんが監督を務める劇場アニメ『ルックバック』が公開された。

僕はマンガ版のルックバックを見たことがなく、YouTubeで予告編を見ても内容がよくわからなかった。

haruka nakamuraさんが音楽を担当しており、好きなアーティストの音楽を聴きたいがために、映画館に足を運んだと行っても過言ではなかった。

でも、映画の内容と音楽がマッチしすぎていて、僕はすぐに作品の世界に引き込まれていく。

58分という上映時間の短さが気にならないほど、見終わった後は余韻に浸りきっていた。

落ち着きを取り戻し、作品を振り返ってみる。

卒業証書を届けた藤野に「藤野先生!」と京本が駆け寄るシーン。エンディング間際、マンガ原稿用紙を読みながら泣いたり笑ったりする京本を藤野が回想するシーンを思い出す。

そこには、「自分の創るモノを好きという1人が目の前にいる喜び」が僕には見えた。

それはマンガだけに限らず、本や写真、こうしたブログでも同じだと思う。

「創る」と「届く」がセットになる喜びは、個人的にとても大きな価値を感じる。

それは自分では判断が付かない創ったモノに対して、誰かが価値を見出してくれているからだ。

映画ルックバックを見た後、僕は「書きたい」と思った。

「たった1人の好き」に気づいた僕はこれからも書いていく。

喫茶七色|akira

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