実家のある富山は浄土真宗の信仰が強く、祖父母は熱心に信仰していた。
信仰していたといっても、お布施やよくわからない壺を買うのではなく、毎朝仏壇に向かうだけ。
富山で三世代で暮らす家族は、かなりの高確率で自宅に立派な大きい仏壇がある。
祖母は毎朝、炊きあがったばかりのご飯を仏飯器に山型のように盛り、それを持って仏壇に向かう。
仏壇に供えると、お椀型の「りん」をりん棒で叩いて「チーン」と鳴らし、赤い表紙の経本を取り出して念仏を唱える。
僕はたまに祖母の朝の日課に付き合うこともあったが、念仏で何を言っているのかさっぱりわからない。
聞き取れるのは「南無阿弥陀仏」という言葉だけ。
祖母は「なむあみだぶつ」じゃなくて、訛って「なまんだう」と言っていた。
そして、決まって最後には「今日も一日健康でありますように」と付け加えて、家族みんなで朝ご飯を食べる。
そんな祖母は、僕の顔を見るたび、口癖のように言っていたのが「品行方正」という言葉。
品行方正には、行いがきちんとしているさまとか、道徳的とか、正しさという意味がある。
他にも「人様に迷惑をかけてはいけないよ」とよく言われた記憶がある。
当時の僕は、別にグレているわけでもなく、陸上競技に明け暮れる普通の高校生で、祖母の言葉の意味は深くわからなかった。
ただ、今ならわかる気がする。
品行方正で人様に迷惑をかけないことは、「他人にビクビクするのではなく自分を律して生きるということなんだよ」と祖母は僕に伝えたかったんじゃないかな?
悪いニュースは取り上げやすく、数字を生みやすいからメディアが報じがちなんだろうけど、最近はどうも自分のことだけを考える人が増えているような気がする。
正直者がバカを見るだとか、他人に構うと自分に危害が及ぶリスクもあるから、その気持ちはよくわかる。
ただ、人は本来、共に手を取り合ったり、協力し合いながら生活や社会が成り立っているはず。
他人に干渉しないことと無関心はまったく違う。
祖母に先見の明があったわけではないけれど、いつの間にか世の中は品行方正ではない生き方が、目につきやすくなっている。
昨年の夏、祖母に会いに行った。祖母が暮らすのは実家ではなく、田んぼに囲まれた見晴らしの良い場所に建つ静かな老人ホーム。
祖母はアルツハイマーになって長く、簡単な受け答えはできても、僕や一緒にいた父のことはもうわからないようだった。
話しかけても声はほとんど届いておらず、僕の目を見てくれることはない。
アルツハイマーになる前の祖母は、僕の目をまっすぐに見て話す人だった。
あの頃の祖母はもういない。その事実に悲しいと一瞬思ったけれど、それは仕方ないことだし、元気だった祖母の姿を僕が覚えていれば、今はそれで良いと思えた。
だからこうして書いている。
「品行方正だよ」という祖母の言葉を思い出す。
その瞬間、自分の襟を正すような気持ちになり、僕は背筋を伸ばしたり自分の周りをきちんと見たりするのだった。
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