「車は見るのも運転するのも好きです」と答えると、年下も年上も、年配の方も「今どき珍しいね〜」と言う。
珍しいと思われるのは、ここが東京だからだろう。これが地方かつ1人1台で、車が日常生活に必要不可欠なアイテムならそうならないはずだ。
でも、そんな地方の人たちも、全員が車好きというわけではないと思う。事故の心配もあるし、ガソリン代だってばかにならない。乗らなくていいのなら、車を今すぐ手放したいと思う方もいるだろう。
車といえばいつも思い出すのが、とある板金屋さんにインタビューをしにいったときのこと。
この道40年近くのオーナー夫妻に車の魅力を聞くと、「車はアクセルを踏めばどこへでも連れて行ってくれる。まだ見たことのない景色を見させてくれる大切なパートナー」と口を揃えて答えた。
僕は素直に「あぁ……ほんとにそうだよなぁ」と思った。
祖父母が暮らす家に向かうとき、友人と運転を代わりばんこしながら向かった旅先、恋人とのドライブみたいな感じで、想い出深いシーンには必ず車があるような気がする。
板金屋さん夫妻は、「最近の車は便利すぎだからね。昔のミッションで思いきりガソリンくさい車のほうが好きなんだよね」とも答えていた。
エコだと電気だのいわれているけれど、僕もこの意見に共感できる。ちなみに、最新型よりも、昭和の時代を走っていたような車のほうが好きだ。デザインもそうだけれど、車を運転している感覚をダイレクトに楽しめる時代の車だ。
最近のは運転もライトも自動だし、車間も車線も動きがおかしいと車側が少しでも判断すれば、すぐに音で知らせてくる。
それが便利だなと思う反面、車にもてなされているような感じもして、なんだか居心地が悪い。
夫妻の言葉を借りれば、車と人間はパートナーなのだから、本来は対等な立場のはず。それが便利な機能だらけで、運転という目的がよくわからなくなりつつある。
「ただアクセルを踏んでハンドルを操り、どこまでも僕たちを運んでいってくれる」それだけで良かったはずなのに。
最近車に乗る機会も増えて、運転できる喜びはあるけれど、その便利さを享受しつつも、便利すぎて困る。
憧れの車というのが自分なりにあって、いつか乗れるように頑張りたいと思った年末の今日だった。
喫茶七色│akira