友人から「書くことが好きなんだね」と言われるときがある。でも、僕は決してそんなことはない。
もともと書くことは大嫌いだった。読書はできない、高校の国語のテストではぶっちぎりの赤点でクラス最低点を取ったこともある。
今でこそ書くに対する苦痛はないけれど、「好き」とカテゴライズされてしまうと、ちょっとそれは違う気がするのだ。
友人の言葉もあって、なぜ自分が書くのかを考えたとき、「書くから書けるようになった」「書くから書くのが楽しくなった」ということに気づいた。
シェアハウスで暮らしていた頃、「読書が好きなら何か書いてみてよ」と、あるシェアメイトから言われたことがある。
そのときに書いたのは、初めての海外旅行で行ったサンフランシスコで出会った、地元の方とカフェや公園で一緒に過ごした時間のこと。
たしかルーズリーフに手書きして、そのシェアメイトに渡して読んでもらった。
僕の目の前でルーズリーフに書かれた文字を読む彼女の表情は、真剣だったり笑顔だったり。読み終えて顔を上げ、「とってもすてきなお話で読めて良かった!」と感想をくれた。
そのとき、僕は初めて自分で書いた文章が、どれだけ拙いとしても、目の前の方が心から喜んでくれる文章を書けたということに気づけた。
書いているうちに気づくことがたくさんある。それは過去のこともそうだし、日常やこれからのことも。それは頭の中で思い浮かべても、多くはすぐに忘れてしまうものであって、書くから残すことができるし、あとから振り返ることもできる。
何も特別でなくても、日常に目を向けてみれば、書けることはたくさんあったりする。朝起きてレースカーテンから漏れる太陽の光がキレイとか、お昼に食べたどこどこのご飯がおいしかったとか、通勤途中のなんてことない風景に心動かされたとか。
書くに必要な断片はいろんなところに落ちていて、それに気づいて拾い上げられるかどうかが必要なのだと思う。
文法が正しいとか間違ってるとかも関係ない気がする。それよりも、まずは気楽に書いてみるという気持ちのほうが大切なのかもしれない。
日記のように毎日は書けないけれど、僕もこのサイトを作ってブログを細々と書き始めてから1年が経った。自分の書きたいままに、つらつらと書き連ねているけれど、結果としてその気楽さが続くことにつながっている。
「書くのって苦しいけど意外に楽しいよね」と、書く行為に抵抗感しかなかった過去の自分に伝えたい。
喫茶七色|akira