老害という言葉がある。いつから流行ったのかはわからない。
辞書的な意味だと、老人が社会的な進歩を妨げて迷惑を欠ける行為を指すらしい。
でも、最近では、年下の人から見て、年上の人の違和感を覚える言動に対する言葉として使われているイメージがある。
かくいう自分も、日常生活のあらゆる場面で「この人は老害だな〜」と思うときがある。
例えば、スーパーのレジ店員さんや、調剤薬局の薬剤師さんに対して理不尽な文句を言っているご老人。
電車が遅れているときに駅員にクレームを投げつけている中年サラリーマンなどなど。
自分が持つ年上に対する嫌悪感やマナー違反に対して「老害」という言葉でラベリングするのは簡単だ。
しかし、老害という言葉は、自分自身にも当てはめることができるという怖さがあると思う。
転職をきっかけに、8年ぶりくらいに電車通勤をするようになった。
利用している路線は、通学する高校生の姿が多い。
でも、「僕にもあんな頃があったなぁ……いや、なかった気がする??」というできごとがあった。
その違和感の正体は、高校生たちが手にするカバンや背負うリュックに、ぬいぐるみやアクスタなどが取り付けられていることだった。
サン◯オやデ◯ズニーのキャラクター、韓流アイドルのアクスタなどで彩られている。
なかには20cmを超えるくらい大きなぬいぐるみをつけている高校生もいて驚く。
その姿を見て最初に「イヤだな」と思った。
それは僕自身がそのようなことをしていなかったし、高校生だった在りし日を思い出しても、同級生の男女を問わずカバンの外側はぬいぐるみでいっぱいなんて記憶はなかったからだ。
他の人に見られたり、歩くたびにぬいぐるみやアクスタがジャラジャラと動いたりする煩わしさのほうが気にならないのかなと疑問に思った。
でも、あるとき、自分が経験のないことを目の当たりにして、嫌悪感や拒否感を示している姿に、今まさに老害なのは僕自身なのではないか……と。
これは良くないと反省し、落ち着いて見てみるといくつかの気づきを見つけた。
例えば、僕が高校生だった10年以上前は、iPhoneなどのスマホを持つ同級生はかなり少数だった。
SNSも画像ではなくテキストベースのサービスが多かった。
それが今やSNSはInstagramやTikTokに限らず、画像や動画をベースにしたサービスで溢れている。
そこで、ぬいぐるみやアクスタで飾られたキレイなカバンやリュックを見つけたとしたら、それ良いかもとなるのだと思う。
また、学校というある種の閉鎖された空間において、周囲がやっているという連帯感もそうさせる1つになるのかもと思った。
ただ、僕がそうした高校生の姿を見て、彼ら彼女らがすばらしいと素直に感じたのは、「自己表現」をしているということだった。
僕が通っていたのは田舎の公立高校で、周囲にはお店などほとんどなく、あるとすれば坂道を下った先にあるファミリーマートくらいだった。
学校というある種の「閉鎖空間」なのだと思う。みんなが同じ制服を着て、同じ授業を受け、集会や遠足でどこに行くのも列をなして一緒に動く。
言い方は悪いが個性が死ぬような環境において、高校生たちはぬいぐるみやアクスタで自分も「好き」という個性を作り出し、発信している。
見るだけで好きな系統がわかるし、取り付ける位置にもこだわったセンスさえも感じることがある。
でも当の本人たちは、別に何にも思っておらず、付けたいから付けているのかもしれない。
それでも、自分の個性を表現しているその姿に、僕は電車の中で一人勝手に感動していたのだ。
どこに行っても年下だった自分が、いつからかそうではなくなり、むしろ年上になる場面のほうが増えてきた。
自分の心地よい部分だけに留まっていると、そうじゃないところに触れたときに違和感が募るようになる。
そんなときは立ち止まって「なぜ?」を軸に考えてみると、それを受け入れられるような気がするので、いつか自分も老害と言われる瞬間が来るかもしれないけれど、それまでは頭を柔らかくしていたいと思う。