料理本を見ると、「大さじ1・小さじ1」「●●g」「●●ml」みたいに、その味つけを再現するために必要な分量が丁寧に記されています。
分量を守り、きっちりと作れば、大体レシピ通りor著者がおよそ想定しているであろう料理ができあがることでしょう。
それはもちろんおいしいのですが、いつもすごいなぁと思うのは家庭で料理をする方たちです。
全部が全部じゃありませんが、自分が知っている限りの家庭で料理をする人(祖母や母)は、計量スプーンや計量カップをほとんど使いません。
「どのくらい入れるの?」と聞けば「大体~」と答えられるし、僕からしてみればその大体が分からんのよという感じですが、祖母や母はその大体が分かっているわけなんです。
つまり目分量で料理をしているわけですが、ちゃんとおいしい。しかも、どうしてかレシピ本と同じメニューを作ったとしても、目分で作ったほうがおいしいと思える不思議。
そこにはいろんなバイアスがかかってる気もしますが、僕にとって目分量による料理は神業のような何かを感じずにはいられないのです。
レシピ本を頼りにした料理で最も大事なのは「視覚」だと思います。
なぜなら、レシピ本に書かれている材料・分量・調理過程を目で見なければいけないから。
一方、目分量の場合は「五感」をフル活用した料理が特徴的だと思っています。
よく言われる話かもしれませんが、単純に料理をするだけなら、足し算はできても引き算はできません。
醤油の入れすぎは味が濃くなるし、砂糖なら甘くなりすぎる。それを修正しようとしても結局はうまくいかず、とんちんかんな思わず笑ってしまいそうな料理が完成します。
でも祖母や母の姿を見ていると、目で鍋の様子を観察し、鼻でにおいを感じ、舌で味を確かめる。本当に五感を駆使しながら料理を作っているんですよね。そうして今日の食卓に料理を並べてくれているわけです。
長年の経験がなせる業やセンスといいますか、本当に神業だなぁ~と感心せざるを得ません。
一流のシェフ、名の通った名店の味も素晴らしいですが、目分量で作られる家庭の味も、それに勝るとも劣らない熟練した技術だなと思いながら、帰省した時は残さずありがたくついつい食べすぎてしまうのです。